ゆたかのおもい。

日常の中で何となく思った事を書いています。

うんこの力(notウコンの力)

日本一楽しい漢字ドリル うんこ漢字ドリル 小学6年生

日本一楽しい漢字ドリル うんこ漢字ドリル 小学6年生

 

最近はどの書店もうんこドリルが並んでいます。そう、うんこがたくさんです。

 

私は大好きなんです、うんこ。大好きと言っても食糞ではなくて、うんこの話が大好きなんです。便器が重みで壊れるくらいうんこたくさん出たとか、おならかなと思ってちょっと出してみたらうんこで漏れちゃった話とか、そういうのが好きです。

 

うんこドリルが流行っているので、それに乗じてうんこ話をしても問題ないだろうと思って、ぶっこんでみようと思います。可能なら最後までお付き合いください。


我が家はつい2年くらい前まで和式トイレだったのですが、和式経験のある方はご存知だと思いますが、長丁場の排便の時は結構大変なんです。ずっとしゃがんでいるので足は疲れるし、筋肉に負荷がかかるちょっとしたトレーニングになっているのか、夏場だと汗の量も多いわけです。

 

それから和式便器だと自分が肛門を開いてひりだした便の形状や色がはっきりわかりますし、その臭いもかなりダイレクトで届きます。便を出し切って紙でお尻を拭いてというプロセスの間、ずっとそのままにしておくとトイレ内が中年ジジイの便の臭いで大変な事になるので、とりあえずすぐに流そうと思ってしゃがんだまま水を流したら、思いのほか粘り気のあるもので(あぶらものを食べすぎたのか)意外と便器にがしっとしがみつくタイプで、そこにぶつかった水流のしぶきが両足に結構かかってしまうという事がありました。小さい頃、父の排便後の後はどうしてこんなに悪臭なんだろうと思っていましたが、いつの間にかそれになっていました。

 

そんな思い出溢れる和式便器から洋式へ変わり、私の日々の排便ライフもすこぶる快適となりました。座ったまま用を足す事のなんと楽な事か。以前は夏場の脱糞イコール軽く汗をかくスポーツ感覚だったわけですが、洋式になってからは心なしか涼しいくらいです。やはり10分くらいしゃがむというのは意外と運動になっているんですね。

 

でも洋式になってから思ったのは、自分が出した便を見ないようになりました。見ようとするためにはわざわざ片尻をあげてのぞき込むような体勢にならなければいけないのです。バリウム飲んだ後の白蛇様出現だとさすがに見たい気持ちにもなりますが、日々のうんこなんぞそこまでして見るほどのものではないので、どんな色なのか、しっかりとした形なのか、それがわからないまま下水行きにしています。

 

あとは出してすぐに水が溜まっている所にぽちょんと落ちるので、そんなに臭いもないですし、最近の温水便座なので脱臭機能もあります。自分がどのくらいの便をしたのか、今日はこんな臭いだったとかがほとんどわかりません。健康の事を考えると本当は便チェックすべきなのでしょうが、肛門の開き具合やすり抜ける感覚で硬さとかはある程度想像できますが、それはあくまで想像。目視ではありません。もしかしたらみんなもこういう感じで便チェックをしないから、最近は大腸がんとか多いのかなとか思ったりしています。人々は洋式トイレになってから、すっかり便というものを遠ざけていたのではないでしょうか。

 

そんな人々がうんこを遠ざけてきているこの時代にドリルが出現します。対象年齢の子どもはうんこ話大好きなので、もう楽しくて仕方ないと思うんですよね。書店で見たところドリルの例題も「そんなシチュエーションあるか?」「そんなバカな」とつい突っ込みたくなる、さほどリアルな感じがしないシチュエーションがポイントなのかなと思いました。うんこを用いつつえぐい感じがなく、結構考えて作られているのだなと思いました。

 

うんこ、どうしてこんな話をするのが好きなのでしょうか。誰もがしているはずなのにあまり口にしない、そんな話をあえてする事で、自分の少し恥ずかしい部分を適度に見せつつ、実は自分はこんな話の引き出しもあるんだよと感じさせ、でも何だかちょっと面白い感じにできる、それがうんこが持つ力なのではないでしょうか。うんこの力です(ウコンの力みたいだけど)

 

これがうんこドリルではなく「人糞ドリル」となると急に臭いや虫のイメージ、マニアの雰囲気が湧き上がってくる感じがして、変態やらエッチなどと言われてしまうわけですが、うんこというテンポの良い響きが絶妙なんだと思います。

 

自分は小学生の頃から下ネタや猥談のたぐいが大好きで、特に中高生あたりだとうんこどころの下ネタでは落ち着かず、同級生同士でエロ話で盛り上がるわけです。その内容で興奮するのはもちろんですが、そういう事を話せるノリが良い奴、自分の経験や妄想をさらせる奴という仲間意識の確認、ひとつの絆のようなものを生んでいるのかなと思老いました。

 

でもみんながそういうのが得意だったり大丈夫なわけではないので、その中でうんこというのが本当に狙いどころだなと思いました。これがちんこドリルだったらそうはいかないわけですよ。ちんこドリル、ドリチン。つまり包茎、しかもかなり皮余りで朝顔のつぼみかのような男性器となってしまうわけですよ。そんな漢字ドリルあったらいったい誰が買うのかという話です(私は買います)


それはさておき、ドリル話からトイレ話など。

 

和式から洋式になって感じるのは、しゃがまなくなったので脚のすねあたりの筋肉が衰えたな弱くなったこと、そして我が肛門の弱体化です。前はウォシュレットがなかったので、紙にうんこがつかなくなるまで拭くとなるとかなり肛門がすれるわけです(便が固くキレが良いもので、いわゆる一本クソであれば楽なのですが)

 

でも体調によっては、また食べたものによっては便の状態が柔らかかったり、粘度が高くなったりしてうまく肛門から離れず欠片がついてしまい、そのため何度も拭かざるをえない事があります。

 

薬用 泡サニーナ 70g

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和式の時も本当は花王サニーナみたいなもので柔らかくして拭くと綺麗だったのかもしれないのですが、面倒くさいのでガンガン拭いていました。でも和式歴が40年くらいの肛門をなめてはいけません(肛門を舐めるというと語弊あるか)しかしここ2年はウォシュレット愛用。明らかに肛門は生ぬるい快適トイレ生活で弱くなっている気がします。


あと気になるのは、洋式になって便の状態が確認しづらくなったため、うんこにたまに入っている消化しきれていない豆とかそういう話を誰かとしたいのですが、それはちょっとレベル高いのかなと思って言わずにいます。一日三食とうもろこしのみだったら、出てくるうんこはどんな感じなのだろうとかふとそんな事を思ったりするわけですが、そこまで話すとさすがに光速で引かれると思うので、まあ仕方あるまいと思って、静かにこちらに書いている次第です。


そう言えば、私の知り合いは外出先でも洗浄便座でないと駄目だと言っていました。私はなにせ和式歴が長いのでトイレの形態は全く気にしないですが、やはり清潔でスッキリする洗浄便座に慣れてしまうと、もう他ではできなくなってしまうんですね。人間は便利利すぎると、どうやら肛門弱体化だけでなく行動も制限されるほどに変わってしまうようです。

 

外出先でも洗浄便座が増えたと思いますが、快適な個室+スマホでトイレの滞在時間が長くなったような気がします。和式だとさすがにしゃがんでいるので、用を足した後に長居せずすぐに出るという感じですが、清潔で明るく、座っているので楽だし快適。そこに暇つぶしに持ってこいのスマホがあるともう時間の許す限りいられそうですよね。ゲーム始めたり動画を見たりしたらもう大変です。個室滞在の平均時間を洋式和式、スマホありなしで時間を計ってほしいです。

 

これほどに熱く私を語らせるうんこ、本当に魅力的です。うんこ大好き!

 

超リアル ウンコ 一本糞

超リアル ウンコ 一本糞

 

 

 

 

 

はてなを始めた深い夜。

昨日から急にはてなブログを始めたのですが、ブログというものを書き始めて10年ほど。ここに至るまでもいろいろな諸国漫遊がありました。

 

最初はYahoo!ブログ、その後にアメブロseesaaブログにBlogger、そして現在はAmebaOwndで書いています。

 

スポーツ観戦や音楽などの趣味の話がメインなので、そうしたものと切り離してぼんやりと感じた世情やらこれからの生き方などを書きたいと思い、はてなブログにしてみました。

 

はてなはコミュニティがあるので、いろいろな方に読んでもらいやすいかなと思って選んでみました。LINE BLOGは一応登録してあるのですが、まったく個人ブログの繋がりが感じられず、探してもらえない無人島にいるかのような印象だったので、有名人でもなければやや難しいかなと感じ、こちらに決定しました。

 

悪い癖なのか、何だか一所にいられなくて、今まで書き続けた記事を引き継ぐこともなく、別ブログへ乗り換えてしまいます。飽きっぽいのか、それとも新しい場所へ行けばさも自分が生まれ変われるような気がするのでしょうか。

 

そう言えば子供の頃、テレビゲームでうまくいかない時にすぐにリセット押していました。おそらく辞め癖がついている人間なのですが、それでもブログ自体を辞めないという事はまだ何かを欲したり発散したいのだと思います。

 

今回もどのくらい続くかわかりませんが、ほぼ多くの個人ブログが誰にも知られず生まれ、そして誰にも知られず去っていくものだと思うので、駄目なら削除してまた新天地を求めれば良いのかなという気落ちでやっていきたいと思います。

悲しき透明な存在、ビニール傘。

今日はやっと梅雨らしい天気になった関東地方。午後からは雨風ともにかなり強かったのですが、そんな時にいつも頭に浮かんでくるのはビニール傘の短い命です。

 

「買った瞬間に風で壊れた」という書き込みやテレビのインタビューをたくさん見るのですが、そのたびにビニール傘があまりに可哀そうな存在でせつなくなります。

 

ビニールという皮が剥がれ、骨があちこちに飛び出した姿で路上に投げ出されたり、雨が上がって用済みになったのかガードレールや駅の手すりに引っ掛けて置き去りにされる姿をよく見るので、これは物にとっても人間にとっても決して良い事ではないと感じます。

 

私は天気予報見るのが結構好きで、夜とかいろいろな局のを見てはいつ雨が降るのか気になってしまうのですが、降水確率が高ければ大きな傘を持っていきます。使っている傘も十数年前に無印良品で買った傘です。また普段から折り畳み傘をバッグに入れているのですが、こちももう十年以上使っています。どちらも耐久性があるので、その場その場でビニール傘を買ってやり過ごすより比べ物にならないほど安上がりです。

  

今日も雨が上がってからの道すがら、コンビニの入り口の傘立てには放置されたであろうたくさんのビニール傘が刺してありました。壊れた傘を放置するのも本当に危ないのですが、用が済んだからと言ってそこに置いていくのも何だか身勝手な感じがしてなりません。

 

あと傘立てにある他人のビニール傘を盗んでいく人が結構いるみたいです。自分が盗まれた経験があるから、他の人のも失敬しても構わないだろうという考えの方もいるようなのですが、使い捨てても問題ないという大切にしない考えが、こうして罪の意識を薄くしているのではないかと思いました。

 

そういえば突然の雨で困ってしまう人のためにレンタル傘などを始めたけれど、返却率があまりに悪くてすぐにやめちてしまうという話がいくつもあります。ダイドーの自販機にあるレンタル傘は比較的返却率が良いそうですが、それでも7割くらいだそうです。

 

一時の雨がしのげればそれで大丈夫だろう、人のものを盗んでも構わないだろう、そこらに捨てていっても構わないだろう、それがまかり通っている事に物質だけが豊かでそれを使う人の心が無反応になっている表れのような気がします。

  

雨のたびにあちこちにビニール傘が死屍累々となっています。その光景が当たり前になってしまい、本当にビニールよろしく透明な存在で、誰の心にも残りません。

 

放置によって街の美観が損なわれますし、骨が飛び出した傘が人や道路に飛んで行ったら危険です。資源の無駄使いですし、物を大切に使う気持ちも育ちません。

 

洋傘の年間消費量は約1億3,000万本にものぼるそうです。 その数字だけでは表れない何か大切なものを私たちは失っている気がしてなりません。