ゆたかのおもい。

日常の中で何となく思った事を書いています。

悲しき透明な存在、ビニール傘。

今日はやっと梅雨らしい天気になった関東地方。午後からは雨風ともにかなり強かったのですが、そんな時にいつも頭に浮かんでくるのはビニール傘の短い命です。

 

「買った瞬間に風で壊れた」という書き込みやテレビのインタビューをたくさん見るのですが、そのたびにビニール傘があまりに可哀そうな存在でせつなくなります。

 

ビニールという皮が剥がれ、骨があちこちに飛び出した姿で路上に投げ出されたり、雨が上がって用済みになったのかガードレールや駅の手すりに引っ掛けて置き去りにされる姿をよく見るので、これは物にとっても人間にとっても決して良い事ではないと感じます。

 

私は天気予報見るのが結構好きで、夜とかいろいろな局のを見てはいつ雨が降るのか気になってしまうのですが、降水確率が高ければ大きな傘を持っていきます。使っている傘も十数年前に無印良品で買った傘です。また普段から折り畳み傘をバッグに入れているのですが、こちももう十年以上使っています。どちらも耐久性があるので、その場その場でビニール傘を買ってやり過ごすより比べ物にならないほど安上がりです。

  

今日も雨が上がってからの道すがら、コンビニの入り口の傘立てには放置されたであろうたくさんのビニール傘が刺してありました。壊れた傘を放置するのも本当に危ないのですが、用が済んだからと言ってそこに置いていくのも何だか身勝手な感じがしてなりません。

 

あと傘立てにある他人のビニール傘を盗んでいく人が結構いるみたいです。自分が盗まれた経験があるから、他の人のも失敬しても構わないだろうという考えの方もいるようなのですが、使い捨てても問題ないという大切にしない考えが、こうして罪の意識を薄くしているのではないかと思いました。

 

そういえば突然の雨で困ってしまう人のためにレンタル傘などを始めたけれど、返却率があまりに悪くてすぐにやめちてしまうという話がいくつもあります。ダイドーの自販機にあるレンタル傘は比較的返却率が良いそうですが、それでも7割くらいだそうです。

 

一時の雨がしのげればそれで大丈夫だろう、人のものを盗んでも構わないだろう、そこらに捨てていっても構わないだろう、それがまかり通っている事に物質だけが豊かでそれを使う人の心が無反応になっている表れのような気がします。

  

雨のたびにあちこちにビニール傘が死屍累々となっています。その光景が当たり前になってしまい、本当にビニールよろしく透明な存在で、誰の心にも残りません。

 

放置によって街の美観が損なわれますし、骨が飛び出した傘が人や道路に飛んで行ったら危険です。資源の無駄使いですし、物を大切に使う気持ちも育ちません。

 

洋傘の年間消費量は約1億3,000万本にものぼるそうです。 その数字だけでは表れない何か大切なものを私たちは失っている気がしてなりません。